【2年秋】
【1年夏】ベンチ外
【1年秋】1回戦で八幡浜に敗退
【2年春】準々決勝で松山聖陵に敗退
【2年夏】3回戦で八幡浜に敗退
【2年秋】決勝で今治西を破り優勝。自身初の四国大会へ出場。
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【2年秋】
2年秋、四国大会(高知県開催)では20年ぶり2度目の優勝を果たし、第39回明治神宮野球大会に出場することになる。
【2回戦】6-0 丸亀戦
投:7回を投げ、被安打6、奪三振9、四死球1。打:2打数0安打、四球2
【準決勝】9-0 高松商戦
投:5回を投げ、被安打0、奪三振5、四死球0、打:3打数2安打6打点。本塁打1、二塁打1
【決勝】2-1 今治西戦
投:被安打7、奪三振6、四球1、111球完投。打:3打数2安打1打点。二塁打1
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【48本】
秋季四国地区大会、準決勝(高松商戦)で四回、弾丸ライナーでバックスクリーン右横へ130mの満塁弾。ちなみにこの本塁打は四国大会通算150号の記念本塁打となった。
さらに打撃フォーム修正し、センバツ以降、18本塁打と量産。
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【3年春】
●1回戦 0-1 PL学園
被安打8、奪三振4、四死球4、2回に失った1点により悔しい敗戦。打では2打数2三振,四死球1。
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【3年夏】
○1回戦 3-2 八千代東
被安打3、奪三振4、四死球0、自責点2。打では3打数0安打,四死球1。
●1回戦 0-4 明豊
被安打9、奪三振7、四死球1、自責点4。打では3打数1安打,四球1。
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【2年春】
2年夏前の6月下旬。明徳義塾との練習試合で同学年で四国の剛腕といわれる栗野翔太郎投手からライトへ特大の推定150m弾を放つ。この本塁打で『秋山拓巳』の噂が一気に広まる。 |
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【西条シニア】
西条南中学時代は西条シニアに所属。投手として活躍し、西日本大会3位。全日本選抜としてアメリカで行われたCABAワールドシリーズ大会に出場。捕手の森雄祐とは中高とバッテリーを組む。また、徳永翼とも中高と投手として互いに切磋琢磨する。
ちなみに小学時代は50本以上の本塁打を放つが、中学時代はなぜか0本。
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秋山 拓巳 |
西条 |
3 |
186 93 |
右左 |
★★★☆ |
全国屈指の逸材は只者ではない“オーラ”を放つ。最速150キロの重いストレートを投げ込み、常時では140キロ前半〜140キロ中盤の球速帯。カーブ、スライダー、ツーシーム、カットボール、フォークなどの変化球を交えて的を絞らせない投球をする。投げない時は外野、一塁手などを守り、打っては左右に鋭いライナー性の打球を連発する。特にヘッドスピード、打球の伸びは出色である。高校通算本塁打は48本。西条南中学時代は西条リトルシニアに所属し、全日本選抜としてCABAワールドシリーズ大会に出場。 (H21.8更新) |
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